知ってくと便利なのれんの色の知識
現在は染料や技術などが進化し当たり前のように使用されている
のれんですが、昔は今ほど技術は発達しておらず材料面も限られていたため、
ほとんどが簡単な麻布の藍染でした。
時代とともにさまざまなのれんが作られるようになりましたが、
昔は色使いに関する約束事がある程度業者ごとで決められていたといわれています。
堅実的な商いを必要とされる商家では、藍染の藍色や紺色が多く使用されていました。
虫が藍の香りを嫌がって寄り付かないので、特性を活かして多くの酒造業や呉服商が藍染を利用していたそうです。
かちん染めと呼ばれる技術により生まれた赤茶色の柿色は、吉原や島原などの花街で
遊女の最高位の太夫がいるお店や、太夫を招待できる今でいう高級料亭のみに許された色といわれています。
元禄の時代になると伝統は崩れていき、柿色はあちこちの遊女屋で使用されるようになり、
後々大きな料亭などでもかけられるようになっていきました。
白地に店名や商品が墨書きされたものは、菓子商や薬種商で多く使われていたといいます。
中でも京阪あたりでは、紺無地の中の一布だけを白生地にして屋号や商標を記していました。
菓子商は砂糖のイメージから、薬種商は当時砂糖を薬として使用していた節があるために
好んで白生地を使っていたそうです。
煙草商や種苗商、薬種商で広く使われていたのは少し黄みがかった黄土色のような茶色です。
江戸時代には特に煙草商がよく使っていた色といわれています。
時代の経過とともに色に対する約束事が意味を持たなくなり、呉服商や茶舗など幅広く使われるようになっていきました。
紫色には特別な意味があり、本来は高貴な人だけが許された色であったため
庶民には禁色とされ決してのれんに使ってはいけない色でした。
江戸時代に入ると金融機関からの借金を返済するまでは、紫ののれんを
かけなければいけないという決め事があったというエピソードがあります。
現在ではそういった決まりはなく、自分が作りたいように自由に色を選択できます。
フルカラー印刷も可能となっていますので、時代と共にのれんのデザインの認識も変わり
より表現が幅広くなっています。